幽明のあわいより 『ようきなやつら』岡田索雲

 けっこう前に、はてブでちょっと話題になっていたマンガの単行本化。収録作品は「東京鎌鼬」「忍耐サトリくん」「川血(せんけつ)」「猫欠(びょうけつ)」「峯落(ほうらく)」「追燈(ついとう)」「ようきなやつら」。「川血」で、河童の家族と暮らす半魚人の子どもが、河童社会の迫害(ただし、家族は彼に優しい)からのエクソダスを描いていて、ちょっと気になっていたので購入。岡田索雲には、むかし『鬼死ね』という作品があり、連載中に読んで、気になっていたのに、ちゃんと追っていなかったら、いつの間にかに打ち切りになっちゃってたのもあって、ずっと気になってたマンガ家ではある。全然気付いていなかったのだが、「川血」以後のweb連載でも社会的な問題を取り扱っていたようだ。明らかにパロディ(というかオマージュ?)なキャラクターが出ていたり、妖怪についての細かい知識がサラッと描かれていたりするので、そういうのを見つけるのも面白い。たとえば、先日、書いた河童の通臂なども描かれていたりする。

りょううでのつながっているかっぱのせんせい
通臂の河童の先生「川血」『ようきなやつら』より

eoh-gs.hatenablog.com
 個人的にもっとも刮目させられたのは関東大震災時の朝鮮人虐殺を扱った「追燈」。舞台が関東大震災と気付いた時に浮かんだ「どうせ虐殺事件には触れないだろうなぁ」という予想を、みごとに裏切るド直球のものだった。全く予想していなかったので、思わずうめいてしまったくらいだ。歴史修正主義ヘイトクライムの跋扈するこの社会*1で、このような直球のマンガを出してきた作者には敬意を表したい。虐殺を正面から描きながら、また別の手法もとっているところに、筆舌に尽くしがたい事実を伝えたい、という作者の熱意を感じる作品である。こういう話で幽鬼が出てくると、鬼哭啾啾といった感じになりがちだが、そういう風にはしない、というところもよいと思う。余談だが、事件から今年は99年目だが、この作品の舞台である四ツ木橋の虐殺追悼碑は、設置者たちが、何年も交渉したが公有地には建てられず、私有地に建っている。

ついとうようきなやつらより
「追燈」『ようきなやつら』より

 どのエピソードも、それぞれのあわいを生きざるを得なくなった妖怪が主人公なのだが、表題にもなっている、ラストの「ようきなやつら」は、どこかで見たような髪型の、武良木さんが主人公。名前もどこかで聞いたような感じだが、彼もまた、ゆえあって幽明のあわいに生きざるを得ない人である。その武良木さんが、収録作の妖怪たちを連れて、「悪い気」を感じる鎌倉*2に行くという話。最後の黄昏時の浜辺の描写もまた、幽明のあわいを感じさせるシーンとなっていてよい。妖怪物としてもぶれていない一冊である。

よつぎばしちかくのちょうせんじんぎゃくさつついとうひ
四ツ木橋近くの私有地に建てられた追悼碑

*1:この作品が無料WEB配信されなかったのは、そうした社会的気分も関係しているのだろうが。

*2:同じ双葉社だし西岸良平の『鎌倉ものがたり』オマージュなのだろうか。

河童の両腕は、なぜつながっているのか?国立国会図書館デジタルコレクションを使って調べてみる。

かっぱ こくりつれきしみんぞくはくぶつかん
河童の模型(国立歴史民俗博物館民俗コーナーより)

両腕がつながっているってどーゆーこと?

 河童について、多少、興味のある人なら、両腕がつながってるというのは、知っていると思うが、河童の両腕はなぜつながっているのか?といわれても、知らんがな(´・ω・`)というのが、一般的な反応だと思う。
両腕がつながってるって、どーゆーこと?という人は、漫画家の西岸良平の説明を見ていただいた方が早いかもしれない。

『鎌倉ものがたり』(第75話二つの密室)のカッパの絵
鎌倉ものがたり』(第75話二つの密室)

このカッパの特徴は、面白がられて、よく漫画などで描かれたりするので、それで知った人もいるだろう。いずれにしても、この話だけだと、なぜ、河童にこのような特徴があるとされるのか、いろいろと疑問も湧いてくるだろう。実際、『河童の日本史』(中村禎里ちくま学芸文庫、底本は1996年刊)で、中村禎里は、以下のように書いている。

ちなみに、河童の両手が通っており、かんたんに抜けるというモチーフがこの妖怪と藁人形・草人形との関連を示すことは、折口信夫柳田國男がかつて指摘した点であった。折口はこのモチーフを、相撲のさい生じやすい脱臼の事故とつなげている。(中略)むしろ一次的には河童のこの性質は、スッポンの手足が縮まることに由来したのだろう。河童の手が左右に通り抜けるという情報の初出は、『和漢三才図会』卷四〇の記事である。腕を一本の草木で通した人形の奇妙な印象が、スッポンの伸縮する四肢に付着した可能性を、あながち否定することはできない

 このように、河童について書かれている本では、だいたいその由来を人形などに結びつけて解釈しようとしている。しかし、中村は考察の対象からはずしているが、柳田國男は、『山島民譚集』(1914年刊)*1で、もう一つ重要なことを書いている。この特徴を持つとされたサルがいたとされることである。柳田は、アイヌの河童、ミンツチが、オキクルミが作った草人形(チシナプカムイ)に由来する説話を紹介し、以下のように書いている。

 草人形ハ蓬ヲ十字ニ結ビテ人ノ形トシ、横ノ一本ハ即チ左右ノ手ナルガ故ニ、今モ「ミンツチ」ハ片手ヲ抜ケバ両手トモ抜ケルナリト称ス。(中略)
此記事ノ中ニテ殊二注意スベキハ亦例ノ河童ノ腕ノ話ナリ。内地ニテモ之ニ似タルコトヲ云フ。(中略)
 此等ノ話ノ奥羽ニ存在セズシテ、遙カニ九州ニ飛離レテアルハ殊二奇ト言ウベシ。中国ニテモ「エンコザル」トハ手長猿ノコトニテ、此猿ノ左右ノ手ハ貫通シテ一本ナルガ故ニ、梢ヨリブラ下ガリテ水中ノ月ヲ探ルニ便ナリナド、老人ノ語リ聞カセシコトアルヲ記憶ス。而モ其由来ニ至ツテハ独リ「アイヌ」ノミ之ヲ説明シ得テ、我々ハ未ダ之ヲ尋ネントモセザリシナリ。
『山島民譚集』河童駒引 柳田國男全集2 遠野物語ほか,筑摩書房,1997

 のちに柳田は『桃太郎の誕生』*2で、「内地」に、河童の両腕についての由来譚があることを紹介している。また、引用文中の中国というのは、柳田の故郷、播磨(中国地方)のことを言っているのだと思うが、日本にテナガザルはいないので、いまいちよくわからない。ただ、後述するように、この話は、中国のテナガザルに由来するものであることは間違いない。

中国のテナガザル

 以前、ニホンザルが猿ではなかった、という話を書いた。
eoh-gs.hatenablog.com
そこでニホンザルが猿ではなく、猴であり、猿はテナガザルだったと紹介し、テナガザルに、両腕がつながっている通臂説があったこともあわせて書いた。ネットで河童について検索すると、中国にいる通臂猿猴というサル妖怪、という説明が判で押したように出てくるが、通臂猿猴は妖怪ではなく、単なるテナガザルの異名である。南方熊楠の『十二支考』(猴は1920年発表)に、その辺りのことが詳述されているので、再度引用しておく。

『和漢三才図会』にいわく、〈『和名抄』、猨、獼猴以て一物と為す、それ訛り伝えて、猨字を用いて総名と為す。猿猨同字。〉と。誠にさようだがこの誤り『和名抄』に始まらず。『日本紀』既に猿田彦、猿女君など猴と書くべきを猿また猨と書いた。(中略)猿英語でギッボン、また支那音そのままとってユエン。黒猩、ゴリラ、猩々に次いで人に近い猴で歯の形成はこの三者よりも一番人に近い。手が非常に長いから手長猿といい、また猿猴の字音で呼ばる。(中略)手を交互左右に伸ばして樹枝を捉え進み移る状、ちょうど一の臂が縮んで他の臂が伸びる方へ通うと見えるから、猿は臂を通わすてふ旧説あり。
南方熊楠著『十二支考(下)』1994,岩波文庫

この南方の説明は、先ほどの柳田の話よりも、詳細かつ正確である。実際、柳田と南方の往復書簡が出版されているが、サルの用字は、柳田が無頓着なのに対して、南方はきっちりと書き分けてる。
 中国の猿(テナガザル)の通臂説については、こちらも漫画になっているのでご存知の方もおられるかもしれない。諸星大二郎の『西遊妖猿伝』に出てくる通臂公だ。*3西岸良平の河童と見比べてもらいたい。

『西遊妖猿伝』(双葉社)
西遊妖猿伝』巻之二 乱の四,ACTION COMICS 双葉社1984

 以前のエントリでも言及したが、猿の通臂説は、中国には3世紀頃からあるので、この河童の通臂説も、中国から入って来たものに違いない。通臂の由来についての南方熊楠中村禎里の説明を読んでも、納得しやすいのは、南方の説明だろう。さらに言えば、実は文献上でも、この推測を裏付ける証拠がある。

河童に通臂説を持ち込んだのは誰か?

 引用した中村禎里南方熊楠の文章を読むと、共通の文献が出てくることに気付く。寺島良安の『和漢三才図会』である。中村は河童*4の通臂説の初出がこの『和漢三才図会』だとしている。だとするならば、『和漢三才図会』の猿の項目*5で通臂をどのように扱っているか調べればよい。猿の項目を読むと、実は説明のほとんどが李時珍の『本草綱目』*6からの引用であることが分かるのだが、ここで両者を比べてみると、引用文中に不自然に脱落している一文があることが分かる。

右『本草綱目』 左『和漢三才図会』いずれも国立国会図書館デジタルコレクションより

 一体、なにが脱落しているのか?「或言其通臂者誤矣」という一文だ。書き下せば「或いはその通臂と言うは誤りなり」となる。猿の通臂が誤りであるという指摘をした部分なのだ。このことから、おそらく寺島良安が、猿の通臂説を、川太郎(河童)の特徴に持ち込んだ、と見て間違いないと思われる。ついでに書いておくと、『和漢三才図会』では、サルは寓類、川太郎は恠(怪)類に分類され、『本草綱目』(1596〔萬暦24〕年刊、日本には1607〔慶長12〕年渡来)に倣ってなのか、貝原益軒の『大和本草』(1709〔宝永6〕刊)*7を継承したのか、この二つの分類は獣部の寓怪類として隣り合っている。これは江戸で人見必大が刊行した、『本朝食鑑』(1695〔元禄8〕年刊)*8が、河童を、鱗介部の龜鼈類の鼈(スッポン)の項で紹介したのとは著しい相違である。猿の通臂を面白いと思った寺島良安が、混入させるにちょうどよい位置に、川太郎は配置されているのである。あるいは川太郎がサルに近いと思って、このようなことをしたのかもしれない。実際、『和漢三才図会』の川太郎の図はサルに近い。

わかんさんさいずえ かわたろう
『和漢三才図会』川太郎 国立国会図書館デジタルコレクションより

本草学とメディアの生んだ妖怪、河童

 河童の通臂説については、その起源譚を巡って、冒頭に引用した柳田、中村は『北肥戦誌』(別名、九州治乱記)という、1720(享保五)年の序文がある史料を持ってくるのだが、上記のことを考えると、1712(正徳二)年から3年後には成立していたと思われる、『和漢三才図会』から持ち込まれた設定と考えても矛盾はない。むしろ、この書物に取り上げられたことによって、九州では通臂説が広まったのではなかろうか。柳田は、アイヌのミンツチが、奥羽のメドチなどと、関係がある、という金田一京助の説を紹介しているが、通臂説の混入という点からも、それが裏付けられるだろう。
 何度か書いたが、江戸時代は、本草学の隆盛や出版メディアの増加など、日本中の知識層が拡大した時代だ。河童イメージは、この時代に大きく変容を遂げた。民衆の中にあった各地の水妖が、本草学によって、名前や姿が違っても、同じカテゴリーの生物として理解されるようになるのである。そういう意味では、近代化以降、さらに決定的になった河童イメージの統一は、すでにこの時代に始まっていたとも言える。河童の通臂説は、民衆伝承としての河童説話に、本草学者が持ち込んだものだが、まだ混沌としていたゆえに、違和感なく受け容れられ、人形起源譚をはじめとした説話形成にも影響を与えた。おそらく九州の河童伝承の知識のある人物によって、アイヌにも持ち込まれたのだろう。
 中国文学者の中野美代子さんが、河童とテナガザルの通臂の相似については言及していたのは読んだことがあるので、当然、民俗学でも既知の話題だと思っていた。しかし、数年前に文庫で読んだ中村禎里の『河童の日本史』が、中国のテナガザルに全く触れていないことに気付いた。それに疑問をもって、いろいろと調べてきたが、少なくとも民俗学の分野では、河童と中国のテナガザルの関係は、あまり知られていないのではないか、と思う。もう少し、知られてもよいと思うので、ここで書いておく。

波斯人 李密翳は本当にペルシア人なのか?(上)

波斯人李密翳のこと

 波斯人の李密翳は『続日本紀』に天平八(西暦736)年八月二十三日の条で遣唐副使の中臣名代に連れられて天皇に会見し、同年十一月三日の条で叙位の記事が出てくる、通常ペルシア人とされる人物である。数年前にも奈良で出土した木簡に「破斯」を姓にした人物の名があり、李密翳の子孫と騒がれたことがある。*1
 この李密翳が普通ペルシア人であるとされているのは、漢字の「波斯」がペルシアを指すことが半ば常識だからだ。しかし、逆から考えると李密翳がペルシア人である根拠はその「波斯」という字以外にあるのだろうか?李密翳は『続紀』上では上記の来日、叙位の記事以降全く活躍するようすがないので、おそらく、ほとんど真面目に研究されたことがないのではないか。*2もの珍しいということからか、特に注記もなく、はなからペルシア人として扱っているものしか目にしたことがない。正倉院の宝物にあるペルシア産と目される器物と結びつけられて語られることも多い。自分がこの波斯人 李密翳の出身に疑問を持ったのは、今村与志雄訳『酉陽雑俎』の訳注に、この「波斯」について、ペルシアでない「波斯」がある、と言及されていること、また木簡騒ぎで波斯人李密翳が意外に着実な研究を欠いたままペルシア人とされているように思われたからである。

「波斯」のこと

 今村与志雄によれば、東南アジアにも「南海の波斯」と呼ばれる国があるという。『酉陽雑俎』巻十八 広動植之三「龍脳香樹」についての一文に出てくる「波斯」の注で以下のように紹介している。

*1:この件についてはこちらを参照のこと→「破斯清道」は本当にペルシャ人なのか?「はじ」(土師)とも読めることに気付いた…【平城宮式部省木簡】 - Togetter続報!「破斯清道」は正倉院文書「土師浄道」と同一人物か!?ペルシャ人では無かった日本の下級官吏はじのきよみちの17年後の昇進について - Togetter

*2:2022/08/11追記 この文章をアップしてから、ほどなくして鈴木靖民が論文を書いていたのを発見。すぐに確認できなかったものの、先日確認してきた。戦前に相当研究があったらしいこと(もちろん日本の南侵と関連しているのであろう)、1980年に国文学者の山﨑馨と鈴木が朝日新聞上で波斯の位置について論争していたこと、今村与志雄もその論争を読んでいたであろうこと、を確認。もっと資料とか論文集めてみないと迂闊なことは書けないなぁ、(もう書いちゃった気もするけど)ということで、下は当分お預け。

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ニホンザルの猿にあらざりしこと

 ニホンザルは猿じゃない、ということを知ったは中野美代子著『孫悟空の誕生』(1987,福武文庫,底本は1980)だった。本書でかなりしっかりと解説しているにもかかわらず、取りあえずニホンザルは猿じゃないらしいと言う程度しか理解できず、ちゃんと飲み込めたのは、この本の著者である中野美代子さんも共訳に名を連ねるR.H. ファン・フーリク著『中国のテナガザル(長臂猨考)』(博品社,1992)を読んでからだ。著者のファン・フーリク(Robert Hans van Gulick)は、日本に駐在したこともあるオランダ人外交官にして高羅佩という中国名を持つシノロジスト。唐の狄仁傑の公案に取材した推理小説のディー判事シリーズの著者でもある。ディー判事シリーズは三省堂*1からいくつか訳書が出ていて結構面白い。ニム・ウェールズアリランの歌』の翻訳者、松平いを子さんも訳者の1人だったりする。フーリクは多言語に通じる上に中国風絵画も描く*2多才な人であり、興味関心の幅も広かったためであろうか、実際にテナガザルを飼育していたという。『中国のテナガザル』はその飼育経験も交え、中国の古典を博捜してテナガザルに関する言説を紹介解説するめっぽう面白い本である。

堀切菖蒲園近くの謎の十二支像(サル)
堀切菖蒲園近くの謎の十二支像(申)

 閑話休題ニホンザルが猿ではない、というのはどういうことか?同書によれば、中国人はニホンザルのようなマカク属のサルには猴(獼猴)、テナガザルには猨(猿の同字)という字をあてており、両者の性質の違いも明確に区別し、猴は卑しく、猿は高潔であると見ていたらしい。実際、テナガザル科のテナガザルの方は類人猿(ape)であり、オナガザル科のニホンザルの類よりもヒトに近い。英語でも猿はGibbonでMonkeyじゃないのである。時代がくだるにつれ、森林の減少などでテナガザルの生息領域が南下していったため、中国人の接触できる猿はほとんどいなくなってしまい、両者の区別はあいまいになった、ということらしい。あいまいになったと言っても現代中国語ではサルは一般的には猴子であり、ニホンザルは日本獼猴となっていて、発音が違うので違いのようなものはなんとなく意識されているのではなかろうか。*3猴と猿の性格の違いは柳宗元の「憎王孫文」などが顕著だとして引用されている。柳宗元は「猿之德靜以恆,類仁讓孝慈」と猿の徳をたたえているのである。なるほど、そう言われてみれば、古典中国文学にでてくる印象深いサルは、だいたい猿*4であることもこの辺りの事情を示しているのだろう。*5最近、某政治家のおかげで「忖度」と同じく大分言葉の重みが下がってしまった「断腸の思い」も子猿を奪われた母猿の話なのだ。*6また近年、秦の始皇帝の祖母に当たる夏后の墓と見られる遺蹟から、現在は絶滅しているテナガザルの頭骨が発見されたというBBCのニュース*7にも、このフーリクの説を参照したらしい解説が載っている。
 日本では記紀以降*8、サルには猿字を当ててしまったので、中国の古典を読む際にいささかの行き違いも生じたのではなかろうか。古典中国文学では、猿はよく嘯き*9、その声は哀しいとされるが、サルの鳴き声って哀しいか?という疑問を持った人も少なくないはず。しかし、ニホンザルの類の鳴き声ではないとなると、改めてテナガザルの鳴き声を聞いてみなければ分からない。テナガザルの鳴き声はどんなものなのか、と検索するとYouTubeですぐ見つかった。中国にもまだ少数ながら中越国境付近などに生息しているようだ。

广西邦亮长臂猿国家级自然保护区 寻踪东黑冠长臂猿(中国中央電視台
youtu.be
独特な鳴き声で、ニホンザルなどとは違った鳴き声である。*10鳴いてる猿たちは哀しいわけではなかろうが、確かに哀しく聞こえなくもない。また、鳴き方も嘯くという感じがよく出ているように思う。
 ところで、猴と猿が違うことには、江戸時代の日本の学者も気付いていた。先日のイカ墨をめぐる俗説について書いたもの*11でも触れたが、明代に出版された『本草綱目』や『三才図会』が日本に入ってくると、日本の本草学も発展を遂げ、その結果、従来の通説に異議をとなえるケースも出てきたのである。猿についても異議がでてきたことは論を俟たない。本草学にも造詣の深い南方熊楠のサルについての以下の一文がその辺りの事情に触れている。

『和漢三才図会』にいわく、〈『和名抄』、猨、獼猴以て一物と為す、それ訛り伝えて、猨字を用いて総名と為す。猿猨同字。〉と。誠にさようだがこの誤り『和名抄』に始まらず。『日本紀』既に猿田彦、猿女君など猴と書くべきを猿また猨と書いた。(中略)猿英語でギッボン、また支那音そのままとってユエン。黒猩、ゴリラ、猩々に次いで人に近い猴で歯の形成はこの三者よりも一番人に近い。手が非常に長いから手長猿といい、また猿猴の字音で呼ばる。(中略)手を交互左右に伸ばして樹枝を捉え進み移る状、ちょうど一の臂が縮んで他の臂が伸びる方へ通うと見えるから、猿は臂を通わすてふ旧説あり。
南方熊楠著『十二支考(下)』1994,岩波文庫

 蛇足だが『和漢三才図会』にとどまらず、『本草綱目啓蒙』『箋注倭名類聚抄』など江戸時代の百科事典のような本にはサルの項でだいたいニホンザルが猿ではないことを指摘している。熊楠も書いているように、記紀以来日本ではサルは猿と表記されてきた。『日本書紀』は引用されている和歌に当てている漢字から、巻によっては中国人執筆説が有力らしいのだが、猨表記を貫いており、あるいは『三国志』の表記に引きずられたのか、既に猿がいなくなった地域の出身者だったのか、どうしてそうなったのか興味あるところである。さて、この最後の一節にある「猿は臂を通わす」というのを通臂という。猿臂と言う場合、もほぼ同様のことで、射撃が巧みである人が猿臂だとされることがあり、漢の飛将軍李広がそうである*12。ところが日本ではこの通臂がどういうわけか河童の特徴とされているのである。だらだらと駄文を書き連ねてしまったが、本当は河童が通臂であることについて書きたかったのだ。その前段として、猿の話が必要だった。というわけで、次回は「河童の通臂なること」を書く予定。多分。

*1:三省堂以外からだと早川からも出ているらしいが自分が入手できたのは三省堂の本のみ

*2:もっとも模写らしい

*3:猿字を使うのは五禽戯などのときか。

*4:日本語訳の過程で猴が猿に置き換えられていることもあるので、中国の古典でサルに関する文章が出てくる場合、原文を参照した方がよいこともある、例えば『五雑俎』などは原文ではサルを指す漢字を何個も使っているが全部猿になっている。

*5:ただ猿の方が文語的で、好まれたという事情の指摘も本書にはあるので注意が必要だが。

*6:世説新語』黜免。もちろん本書でも引用されており、他にもいろいろ面白い話がふんだんに引用されている

*7:2300年前の墓に謎のテナガザル 始皇帝の祖母埋葬か - BBCニュース

*8:他にも『和名類聚抄』猨の項には「音園字亦作猿和名佐流」とあり、『兼名苑』からの引用として「一名獼猴」とある。『倭名類聚鈔』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544224/45

*9:嘯くということについてはこちらが詳しい「嘯」について―齋藤希史『漢文スタイル』より - 達而録「長嘯」とは?―中島敦『山月記』の漢詩の意味 - 達而録

*10:記者が動画の最初の方、1:20あたりhttps://youtu.be/SgHlJ7pC_KI?t=77で、李白の「早発白帝城」を引用しているのも、猿と言えば、という感じなのだろう。

*11:イカ墨で書契をなすこと - ももばと友の会

*12:史記』李将軍列伝 第四十九 、『漢書』李広蘇建伝 第二十四 猿臂については漢書の如淳注に「臂如猿,通肩」とある。このあたり詳しくは前掲書『孫悟空の誕生』『中国のテナガザル』などに詳述してあるのでそっちを参照してください。私のは受け売りです

イカ墨で書契をなすこと

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 イカ墨で文字を書くと消えるとする俗説があり、意外に人口に膾炙している。アニメ『一休さん』で出てきたようで、その記憶がある人がネットでたまに話題にするようだ。この話、どうやら江戸時代に流行したらしい。自分が確認した限り日本でもっとも古いものは『和漢三才図会』の烏賊の項にでてくるものだ。『本草綱目』(李時珍,1596,南京)の記述を取り込んだようだが、本草学の隆盛によって時代がくだるといろいろな話にとりこまれたもよう。『大岡政談』村井長庵之記にこの俗説を用いたトリックがでてくる。『大岡政談』のネタ元の1つの『本朝桜陰比事』にもこの俗説を利用した話があるようだ。

此たびの手形は兼(かね)て拵(こしら)へたる物なり。烏賊の黒みに粉糊(このり)を摺(すり)ませて書る物は。三年過(すぐ)れば白紙になるといふ事本草に見へたり。
井原西鶴西鶴諸國咄・本朝櫻陰比事』119頁-120頁,岩波文庫,1932*1

評に曰く、証文の文字の消え失せしは、長庵が計略により烏賊の墨にてしたためしゆえならんか。古今にそのためし有りとかや。(『大岡政談』村井長庵之記)
辻達也編『大岡政談 2』209頁,東洋文庫1984

このあたりが『一休さん』のネタ元だろう。松浦静山の『甲子夜話』にも似たような話が載っている。

烏賊の甲を抹し、墨に磨り混へて紙に書く時は、ほど過ぎて墨痕脱去すと云。
松浦静山中村幸彦中野三敏校訂『甲子夜話 3』229頁,東洋文庫,1977

 前述のとおり、この話は『本草綱目』にでてくる。*2『本朝桜陰比事』の著者、井原西鶴は『本草綱目』を読んだか、読んだ人の話から着想を得たのだろう(三年という期間、混ぜ物をする、というのは『本草綱目』にはない)。『本草綱目』の該当部分は「頌曰」で始まっており、おそらく北宋時代に編纂された『本草図経』(あるいは『図経本草』蘇頌編撰,1061)からの引用と思われる。中國哲學書電子化計劃で探したのだが、『本草図経』はなぜか獣禽部13卷までしかなく、烏賊が載っている虫魚部がない。しかたないので、ほかの本草書から同書の引用部分をあたってみた。宮内庁書陵部所蔵の『新編類要図註本草』と中國哲學書電子化計劃にある『図経衍義本草』の両方を参照してみると、『本草圖經』の引用部分にはこのイカ墨が消える、という記述はなかった。*3。としてみると、李時珍はどこからこの話を持ってきたのか。他の本草書からの可能性もあるが、自分が心当たりがあるのは段成式の『酉陽雑俎』(860頃)である。同書にはイカ(烏賊)について下記のような話が載っている。

江東人或取墨書契,以脱人財物,書跡如淡墨,逾年字消,唯空紙耳。*4
長江下流の人々は、あるいは、その墨をとって、証文を書き、人の財や品物を失敬することがある。書跡は薄墨のようであるが、年がたつと、文字は消え、なにも書いていない紙だけになるからだ。
段成式撰,今村与志雄訳注『酉陽雑俎 3』177頁,東洋文庫,1981

 イカ墨が淡く、セピア色*5になるところに想を得た作り話であるものが、江東人への噂話となって流布したのではなかろうか。それを段成式が採用したのだろう。実際そうなるかどうかは、試してみればすぐ分かることだが、段成式は内陸に住んでいたため簡単には試せなかったのではないか。自分の経験を言うと、イカ墨を白いシャツにこぼすと、なんど洗濯しても薄くはなるが消えることはない。『本朝桜陰比事』『甲子夜話』でイカ墨に混ぜ物をすることになっているのは、実際にイカ墨が消えるかどうか、イカが比較的手に入りやすい日本では試した者がいたためかもしれない。

*1:国立国会図書館デジタルコレクション 井原西鶴西鶴諸國咄・本朝櫻陰比事』 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170438/62,https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170438/63

*2:国立国会図書館デジタルコレクション 本草綱目 第24冊(第43-46巻)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287105/60

*3:中國哲學書電子化計劃 圖經衍義本草 卷三十二蟲魚部中品https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=99690&page=39

*4:中國哲學書電子化計劃 酉陽雜俎 卷十四~卷二十https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=51869&page=103

*5:そもそもセピアという語自体がイカ墨で作る顔料をさす言葉らしい

「利用する、便利じゃん」の末路としての小選挙区制と安倍政権

小選挙区制について話題になっていたので書く。
amon.hatenablog.com
 最初に言っておくが、ここでid:D_Amon氏が言っていることは嘘ではない。自民党はずっと小選挙区制をやりたかった。根拠が新日本出版社の書籍だからといっても本当のことだからしょうがない。問題はなぜ自民党政権の時ではなく、細川連立政権の時に小選挙区制になったのか、ということだ。

 なんでD_Amon氏がちゃんと書かないのか分からないが、当時は小選挙区制に賛成しないのは頭の固い守旧派みたいな雰囲気ができあがっていた。背景にあったのはリクルート事件や佐川事件などの金権政治批判だ。また、族議員や派閥政治という自民党の問題も大きく批判されていたという背景もあった。そこで出てきたのが政治改革の議論だ。金権政治批判は、中選挙区制は不正の温床だし、政権交代ができにくい。だから政権交代できる選挙制度にしよう! そうだ!小選挙区制だ。これで民意を「集約」することにより政権交代ができるようになり、イギリスやアメリカのようなスマートな二大政党制になれる!という選挙制度改革の話が主流になってしまった。ちなみに政党に直接税金を分配という政党助成金もこのときに、金権政治批判の文脈ででてきて実際に成立しちゃった制度だからね。

 こうした議論は小沢とか自民党内から出てきて、自民党は分裂、宮澤政権は解散。自民党から出てきた小沢、細川(元自民党)、武村とかの連中に社会党などの野党も同調して細川連立政権をつくった。この政権が自民党選挙制度で妥協したのは、そもそも自分たち(特に自民党から来た連中)も小選挙区制導入を主張してたってことと、政治改革関連法を成立させないと政権維持が難しかったから。反対する人間を守旧派呼ばわりして黙らせようとするすごいイメージ戦略が横行していた。今の立憲民主党とかにいる連中はこの系統。政治学者で露骨に旗振りしていたのが山口二郎。きちんと反対している人間は少なかった。政党だと共産党くらい、社会党自民党の一部にもはっきりとした反対者はいたけど少数派。ジャーナリストでちゃんと言ってたのは朝日の石川真澄が印象に残っているくらい。全然少数派でした。

 死んだ山花貞夫とか今、立憲民主党にいる赤松広隆など、社会党にいた人間なんかテレビで反対論をはなす共産党議員を嘲笑してたくらい。まあ、ひどかったわけです。今、この辺りの連中は「アベ政治を許さない!」とか言ってる訳でしょう? 安倍政権がひどいのはそうだけど、オメーらがアシストお膳立てして作った制度でこんなことになってるんだっつーの。安倍政権の問題とされる党中央への権力の集中とか、実際の支持率以上の得票っていうのは小選挙区制の問題として当時もとっくに指摘されてたのに当時聞く耳持たなかったからね、あいつらは。その反省全然なさげなのはすごい問題だと思います。うろ覚えだけど当時の政治状況を興味深く見ていた人間としてはこういう印象です。

ロージャオモーをもつブタさん
肉夾饃(ロージャオモー)ぶつけてやりてぇ
 ずっと自民党がやりたかったことが、「改革派」の連中の助けを借りてなんとなく新しい政策みたいイメージを獲得して本当に成立した。というのが事実関係として最低限抑えておかなければならない背景なんじゃないかな、と思います。この事実から権力者がやろうとしていることを「利用」して、なにかを成し遂げようとするということには、とてつもないリスクがあるんだ、という教訓を得られないと駄目なんじゃない?っていうのは、最近の「てんのうへーか万歳リベラル」を見ていても思うことですね。

2019/11/24
脱字、重複表現を修正

選択的懐疑に文脈の捏造、どこまで堕ちるのか。

 さて、性的同意年齢引き上げについて性教育の禁止に繋がりかねない、だから「フェミニズムと保守がまるで共闘しているかのように見える事案」がある、などとscopedogさんがデタラメを書いていることについて真面目に反論している人がいます。詳しくはこちらのエントリーのブコメを参照のこと。(念のためですが私は「狂人」とかいう表記には一切賛同しません)
scopedog.hatenablog.com
もちろん、そういう指摘は重要でしょう。ただ、scopedogさんは多分これが詭弁であることを織り込み済みで書いているんですよね。というのはブコメへの応答を読むと分かります。
scopedog.hatenablog.com
はいはい、分かってますよ、という書き方です。ここでは今は安倍保守政権だからそれに利用されるおそれがあるものは全部ダメという理屈なのでしょう。言及されたid:yasugoro_2012さんとid:D_Amonさんも、ブコメで意図を図りかねている様子ですが、それというのもこれをscopedogさんがマジで主張しているわけじゃない感じがするからでしょう。なぜか。この理屈、ぶっちゃけ、どこかで見たような理屈なんです。これ、多分scopedogさん的な理解の「共同親権反対派のロジック」なんですよ。*1これに反論したら、お前がそのロジックじゃ、とやるつもりだったんじゃないでしょうか。そうじゃなくても性暴力に関する刑法改正についてのフェミニストの主張を嘲笑するという目的があったのは明らかだと思います。以前にもやっていますからね。scopedog.hatenablog.com
もちろん、このロジックはscopedogさんの脳内藁人形ですので意味はありませんし、同様にフェミニストの主張もscopedogさんの「僕の考えたフェミの主張」でしかないので意味はないです。ここではscopedogさんがいかにフェミニストの経験と知識を軽く考えているか、というのが露呈しています。ほとんどのフェミニストが保守派と性教育で水と油なのは、フェミニストの運動の歴史が示している訳です。その経験と知識がある人々に、リプロダクティブヘルス/ライツもまともに理解していないscopedogさんが指南できると思えるのは、scopedogさんのお粗末なマンスプレイニングに賛同できる浅はかな連中にしか存在しないでしょう。こういう軽侮の念がフェミニストや女性に対してとめどなく湧き出てくるのがscopedogさんの凄いところだと思います。(褒めてない)
 歴史修正主義を批判するにあたってはこういうミソジニーとできうる限り決別しておく、って非常に重要だと私は思います。なぜなら、やっぱり差別的な思考って歴史修正主義の方法論と近接していくからです。例えば選択的懐疑主義です。能川元一さんが簡潔にまとめているので、なにそれしらんわ、という方はこちらを参照してね↓nogawam.blogspot.com
こちらの主張を雑にまとめて脳内藁人形で選択的懐疑主義じゃー、というのは、scopedogさんもやってます(脚注1参照)ので、私からは具体的にscopedogさんの記述に沿って言わせてもらいましょう。scopedogさんは下記のエントリーでこのように書いています。長くもないので全文引用します。
雑感 - 誰かの妄想・はてなブログ版

“普段、リベラルな発言をしているのに、性暴力の問題になるとおかしな発言をする人がいる”みたいなツイートを見かけましたので。
まあ、ツイート主の意図とは違う意味で私も同じように感じている部分はあります。

例えば、有名な冤罪事件などで司法のあり方を批判したり、再審無罪になった後も犯人扱いする警察関係者の発言を批判したり、あるいは逮捕時点で犯人視する報道を批判したりと、これらは“推定無罪”の原則などを踏まえれば、リベラルとして当然の対応だと思います。
しかし、これが性暴力事件になった途端にそれらの原則を放擲する人たちがちょいちょい存在しており、そういう意味で私は冒頭のような感想を抱いています。

性暴力事件の場合だけ、冤罪の可能性すら認めない、逮捕時点で犯人扱いして非難する、裁判で無罪判決が出た後(それも暴行・脅迫要件や抗拒不能要件を満たさなかったという理由ではなく容疑事実そのものが否定された場合)ですら確たる根拠もなく被告を犯人扱いする人ですね。

冤罪主張を被害者に対するセカンドレイプだと主張する一方で、無罪判決の出た被告を加害者呼ばわりすることには疑問を抱かない、という論理は私にはちょっと理解できません。

 昨今の報道を見ていれば、scopedogさんの性暴力事件とその判決への言及が明らかにおかしいことに気付くと思います。なんでこんなに性暴力関係の刑法改正が話題になるのか。暴行・脅迫要件や抗拒不能要件を満たさなかったという理由で裁判の過程で明らかに不同意(一般的な感覚で言えばレイプ)が認定されているにもかかわらず、無罪判決がでているケースが複数あったからですよね。報道をみていれば、普通はそういう理解になると思います。*2よほど認識が歪んでいない限り。そして、なぜそうなるのか、と言えばそこには男性中心につくられてきた司法制度があるからじゃないですか?(刑法の性交同意年齢の規定も「明治」から変わってない、「明治」の立法者はリベラルだったのだろうか?ぶっちゃけ今の規定でも性教育が満足に行われていないことを考えれば、禁止の理由にするのは難しいでしょう)まず、リベラルだとかなんだとか言うのならば、権力が作った差別的な制度に着目すべし、としか言いようがないっす。推定無罪の原則の不徹底はそれをやってる当人に注意すれば?と思いますね。きちんとした理路で憤ってる人とそうでない人を一緒くたにする雑な印象論で論じて正当な要求を不当な要求のようと見せかけようとしているのはscopedogさんの差別的な態度の表れです。前もやってましたよね。指摘しましたけど。scopedogさん自身も不同意が認定されているケース(一般的な感覚で言えばレイプ)で無罪がでてるって分かってるんでしょう?だから括弧で(それも暴行・脅迫要件や抗拒不能要件を満たさなかったという理由ではなく容疑事実そのものが否定された場合)って追加してるんじゃん。*3まさにこれが選択的懐疑主義です。scopedogさんがやるべきことはまず自分の差別的な感情と向き合って徹底的に反省することだと思いますよ。
 他にも、私が一度も言ったことがないことが言ったことにされたりしています。
DV被害者に対して「どうでもいい」と言い放ったEoH-GS氏のコメント - 誰かの妄想・はてなブログ版
以下の発言がそう言ったことにされているんですね。

親子断絶防止法案に反対している人たちが、子どもと引き離されている親の権利はどのように守られるべきだと考えているのかわからない - 誰かの妄想・はてなブログ版

徹頭徹尾、親の視点でしか語ろうとしないところがこの法案の推進者の最大の問題点。どうして、子どもの視点に立てないのか。子どもの側に立てれば、この論点も生きるでしょうに。親の権利なんてどうでもいいよ。

2016/10/29 06:58
完全に文脈を捏造しています。普段虚偽DVとか言ってるくせに、DVの加害事実の認定にもとても選択的なものを感じます。ちなみに私はどっちも疑ってません。基本DVの話はDV防止法で解決すべきだし、共同養育にするんだったらDVが認定されているケースと疑い例は問答無用で共同養育の適用ストップ、加害者側(疑い例含む)からは離すってことにすれば良いだけだと思います。

最後に、選択的懐疑をしちゃう自称リベラルさんには、さるとらさんが前に平等と正義について書いた記事が勉強になると思いますのでリンクを貼っておきましょう。scopedogさんもちゃんと読んで学んでください。最後のつっこみも重要だよ。
sarutora.hatenablog.com

以上です。

*1:

“離婚後共同親権に反対するつもりはないけど、主張している連中が極右だから気に入らない” とか言うような人を、私は離婚後共同親権反対派に含めています。

どちらも選択的懐疑主義だと思う - 誰かの妄想・はてなブログ版
これは明らかに私を指しているのですが、私はこんな雑な主張をしていません。scopedogさんはね、虚偽DVっていう一番やばい主張が右翼と被ってるんですよ - ももばと友の会を参照。

*2:www.huffingtonpost.jp jp.reuters.com

*3:全部分かって書いているっていうのが分かりますね。邪悪だなぁ。