イカ墨で書契をなすこと

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 イカ墨で文字を書くと消えるとする俗説があり、意外に人口に膾炙している。アニメ『一休さん』で出てきたようで、その記憶がある人がネットでたまに話題にするようだ。この話、どうやら江戸時代に流行したらしい。自分が確認した限り日本でもっとも古いものは『和漢三才図会』の烏賊の項にでてくるものだ。『本草綱目』(李時珍,1596,南京)の記述を取り込んだようだが、本草学の隆盛によって時代がくだるといろいろな話にとりこまれたもよう。『大岡政談』村井長庵之記にこの俗説を用いたトリックがでてくる。『大岡政談』のネタ元の1つの『本朝桜陰比事』にもこの俗説を利用した話があるようだ。

此たびの手形は兼(かね)て拵(こしら)へたる物なり。烏賊の黒みに粉糊(このり)を摺(すり)ませて書る物は。三年過(すぐ)れば白紙になるといふ事本草に見へたり。
井原西鶴西鶴諸國咄・本朝櫻陰比事』119頁-120頁,岩波文庫,1932*1

評に曰く、証文の文字の消え失せしは、長庵が計略により烏賊の墨にてしたためしゆえならんか。古今にそのためし有りとかや。(『大岡政談』村井長庵之記)
辻達也編『大岡政談 2』209頁,東洋文庫1984

このあたりが『一休さん』のネタ元だろう。松浦静山の『甲子夜話』にも似たような話が載っている。

烏賊の甲を抹し、墨に磨り混へて紙に書く時は、ほど過ぎて墨痕脱去すと云。
松浦静山中村幸彦中野三敏校訂『甲子夜話 3』229頁,東洋文庫,1977

 前述のとおり、この話は『本草綱目』にでてくる。*2『本朝桜陰比事』の著者、井原西鶴は『本草綱目』を読んだか、読んだ人の話から着想を得たのだろう(三年という期間、混ぜ物をする、というのは『本草綱目』にはない)。『本草綱目』の該当部分は「頌曰」で始まっており、おそらく北宋時代に編纂された『本草図経』(あるいは『図経本草』蘇頌編撰,1061)からの引用と思われる。中國哲學書電子化計劃で探したのだが、『本草図経』はなぜか獣禽部13卷までしかなく、烏賊が載っている虫魚部がない。しかたないので、ほかの本草書から同書の引用部分をあたってみた。宮内庁書陵部所蔵の『新編類要図註本草』と中國哲學書電子化計劃にある『図経衍義本草』の両方を参照してみると、『本草圖經』の引用部分にはこのイカ墨が消える、という記述はなかった。*3。としてみると、李時珍はどこからこの話を持ってきたのか。他の本草書からの可能性もあるが、自分が心当たりがあるのは段成式の『酉陽雑俎』(860頃)である。同書にはイカ(烏賊)について下記のような話が載っている。

江東人或取墨書契,以脱人財物,書跡如淡墨,逾年字消,唯空紙耳。*4
長江下流の人々は、あるいは、その墨をとって、証文を書き、人の財や品物を失敬することがある。書跡は薄墨のようであるが、年がたつと、文字は消え、なにも書いていない紙だけになるからだ。
段成式撰,今村与志雄訳注『酉陽雑俎 3』177頁,東洋文庫,1981

 イカ墨が淡く、セピア色*5になるところに想を得た作り話であるものが、江東人への噂話となって流布したのではなかろうか。それを段成式が採用したのだろう。実際そうなるかどうかは、試してみればすぐ分かることだが、段成式は内陸に住んでいたため簡単には試せなかったのではないか。自分の経験を言うと、イカ墨を白いシャツにこぼすと、なんど洗濯しても薄くはなるが消えることはない。『本朝桜陰比事』『甲子夜話』でイカ墨に混ぜ物をすることになっているのは、実際にイカ墨が消えるかどうか、イカが比較的手に入りやすい日本では試した者がいたためかもしれない。

*1:国立国会図書館デジタルコレクション 井原西鶴西鶴諸國咄・本朝櫻陰比事』 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170438/62,https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170438/63

*2:国立国会図書館デジタルコレクション 本草綱目 第24冊(第43-46巻)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287105/60

*3:中國哲學書電子化計劃 圖經衍義本草 卷三十二蟲魚部中品https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=99690&page=39

*4:中國哲學書電子化計劃 酉陽雜俎 卷十四~卷二十https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=51869&page=103

*5:そもそもセピアという語自体がイカ墨で作る顔料をさす言葉らしい