ニホンザルの猿にあらざりしこと

 ニホンザルは猿じゃない、ということを知ったは中野美代子著『孫悟空の誕生』(1987,福武文庫,底本は1980)だった。本書でかなりしっかりと解説しているにもかかわらず、取りあえずニホンザルは猿じゃないらしいと言う程度しか理解できず、ちゃんと飲み込めたのは、この本の著者である中野美代子さんも共訳に名を連ねるR.H. ファン・フーリク著『中国のテナガザル(長臂猨考)』(博品社,1992)を読んでからだ。著者のファン・フーリク(Robert Hans van Gulick)は、日本に駐在したこともあるオランダ人外交官にして高羅佩という中国名を持つシノロジスト。唐の狄仁傑の公案に取材した推理小説のディー判事シリーズの著者でもある。ディー判事シリーズは三省堂*1からいくつか訳書が出ていて結構面白い。ニム・ウェールズアリランの歌』の翻訳者、松平いを子さんも訳者の1人だったりする。フーリクは多言語に通じる上に中国風絵画も描く*2多才な人であり、興味関心の幅も広かったためであろうか、実際にテナガザルを飼育していたという。『中国のテナガザル』はその飼育経験も交え、中国の古典を博捜してテナガザルに関する言説を紹介解説するめっぽう面白い本である。

堀切菖蒲園近くの謎の十二支像(サル)
堀切菖蒲園近くの謎の十二支像(申)

 閑話休題ニホンザルが猿ではない、というのはどういうことか?同書によれば、中国人はニホンザルのようなマカク属のサルには猴(獼猴)、テナガザルには猨(猿の同字)という字をあてており、両者の性質の違いも明確に区別し、猴は卑しく、猿は高潔であると見ていたらしい。実際、テナガザル科のテナガザルの方は類人猿(ape)であり、オナガザル科のニホンザルの類よりもヒトに近い。英語でも猿はGibbonでMonkeyじゃないのである。時代がくだるにつれ、森林の減少などでテナガザルの生息領域が南下していったため、中国人の接触できる猿はほとんどいなくなってしまい、両者の区別はあいまいになった、ということらしい。あいまいになったと言っても現代中国語ではサルは一般的には猴子であり、ニホンザルは日本獼猴となっていて、発音が違うので違いのようなものはなんとなく意識されているのではなかろうか。*3猴と猿の性格の違いは柳宗元の「憎王孫文」などが顕著だとして引用されている。柳宗元は「猿之德靜以恆,類仁讓孝慈」と猿の徳をたたえているのである。なるほど、そう言われてみれば、古典中国文学にでてくる印象深いサルは、だいたい猿*4であることもこの辺りの事情を示しているのだろう。*5最近、某政治家のおかげで「忖度」と同じく大分言葉の重みが下がってしまった「断腸の思い」も子猿を奪われた母猿の話なのだ。*6また近年、秦の始皇帝の祖母に当たる夏后の墓と見られる遺蹟から、現在は絶滅しているテナガザルの頭骨が発見されたというBBCのニュース*7にも、このフーリクの説を参照したらしい解説が載っている。
 日本では記紀以降*8、サルには猿字を当ててしまったので、中国の古典を読む際にいささかの行き違いも生じたのではなかろうか。古典中国文学では、猿はよく嘯き*9、その声は哀しいとされるが、サルの鳴き声って哀しいか?という疑問を持った人も少なくないはず。しかし、ニホンザルの類の鳴き声ではないとなると、改めてテナガザルの鳴き声を聞いてみなければ分からない。テナガザルの鳴き声はどんなものなのか、と検索するとYouTubeですぐ見つかった。中国にもまだ少数ながら中越国境付近などに生息しているようだ。

广西邦亮长臂猿国家级自然保护区 寻踪东黑冠长臂猿(中国中央電視台
youtu.be
独特な鳴き声で、ニホンザルなどとは違った鳴き声である。*10鳴いてる猿たちは哀しいわけではなかろうが、確かに哀しく聞こえなくもない。また、鳴き方も嘯くという感じがよく出ているように思う。
 ところで、猴と猿が違うことには、江戸時代の日本の学者も気付いていた。先日のイカ墨をめぐる俗説について書いたもの*11でも触れたが、明代に出版された『本草綱目』や『三才図会』が日本に入ってくると、日本の本草学も発展を遂げ、その結果、従来の通説に異議をとなえるケースも出てきたのである。猿についても異議がでてきたことは論を俟たない。本草学にも造詣の深い南方熊楠のサルについての以下の一文がその辺りの事情に触れている。

『和漢三才図会』にいわく、〈『和名抄』、猨、獼猴以て一物と為す、それ訛り伝えて、猨字を用いて総名と為す。猿猨同字。〉と。誠にさようだがこの誤り『和名抄』に始まらず。『日本紀』既に猿田彦、猿女君など猴と書くべきを猿また猨と書いた。(中略)猿英語でギッボン、また支那音そのままとってユエン。黒猩、ゴリラ、猩々に次いで人に近い猴で歯の形成はこの三者よりも一番人に近い。手が非常に長いから手長猿といい、また猿猴の字音で呼ばる。(中略)手を交互左右に伸ばして樹枝を捉え進み移る状、ちょうど一の臂が縮んで他の臂が伸びる方へ通うと見えるから、猿は臂を通わすてふ旧説あり。
南方熊楠著『十二支考(下)』1994,岩波文庫

 蛇足だが『和漢三才図会』にとどまらず、『本草綱目啓蒙』『箋注倭名類聚抄』など江戸時代の百科事典のような本にはサルの項でだいたいニホンザルが猿ではないことを指摘している。熊楠も書いているように、記紀以来日本ではサルは猿と表記されてきた。『日本書紀』は引用されている和歌に当てている漢字から、巻によっては中国人執筆説が有力らしいのだが、猨表記を貫いており、あるいは『三国志』の表記に引きずられたのか、既に猿がいなくなった地域の出身者だったのか、どうしてそうなったのか興味あるところである。さて、この最後の一節にある「猿は臂を通わす」というのを通臂という。猿臂と言う場合、もほぼ同様のことで、射撃が巧みである人が猿臂だとされることがあり、漢の飛将軍李広がそうである*12。ところが日本ではこの通臂がどういうわけか河童の特徴とされているのである。だらだらと駄文を書き連ねてしまったが、本当は河童が通臂であることについて書きたかったのだ。その前段として、猿の話が必要だった。というわけで、次回は「河童の通臂なること」を書く予定。多分。

*1:三省堂以外からだと早川からも出ているらしいが自分が入手できたのは三省堂の本のみ

*2:もっとも模写らしい

*3:猿字を使うのは五禽戯などのときか。

*4:日本語訳の過程で猴が猿に置き換えられていることもあるので、中国の古典でサルに関する文章が出てくる場合、原文を参照した方がよいこともある、例えば『五雑俎』などは原文ではサルを指す漢字を何個も使っているが全部猿になっている。

*5:ただ猿の方が文語的で、好まれたという事情の指摘も本書にはあるので注意が必要だが。

*6:世説新語』黜免。もちろん本書でも引用されており、他にもいろいろ面白い話がふんだんに引用されている

*7:2300年前の墓に謎のテナガザル 始皇帝の祖母埋葬か - BBCニュース

*8:他にも『和名類聚抄』猨の項には「音園字亦作猿和名佐流」とあり、『兼名苑』からの引用として「一名獼猴」とある。『倭名類聚鈔』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544224/45

*9:嘯くということについてはこちらが詳しい「嘯」について―齋藤希史『漢文スタイル』より - 達而録「長嘯」とは?―中島敦『山月記』の漢詩の意味 - 達而録

*10:記者が動画の最初の方、1:20あたりhttps://youtu.be/SgHlJ7pC_KI?t=77で、李白の「早発白帝城」を引用しているのも、猿と言えば、という感じなのだろう。

*11:イカ墨で書契をなすこと - ももばと友の会

*12:史記』李将軍列伝 第四十九 、『漢書』李広蘇建伝 第二十四 猿臂については漢書の如淳注に「臂如猿,通肩」とある。このあたり詳しくは前掲書『孫悟空の誕生』『中国のテナガザル』などに詳述してあるのでそっちを参照してください。私のは受け売りです