漢字の将来

初出が1971年8月号の『文藝春秋
武田泰淳陳舜臣の対談

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武田
まあ、中国の場合、まだ国語が統一されていないから、国語の統一をまずしなければならない。いまはさかんに民族移動*1をやって、お互いに混合させて一つの中国を作ろうとしている最中でしょう。教科書も漢字のほかにローマ字*2も使っていますね。中国人は決して漢字にべんべんとしているわけではない。ところが日本の漢学者は、漢字がなくなったら中国文化はないという。しかし、日本の漢学者が持っている漢字に対する学識というものは、果たしてどの程度か。漢字が発生したときの事情を知らないで、それから流れ流れて末端になってきたわけでしょう。いまの漢字はずいぶん末端のものですね。その末端の漢字の意味だけを考えて、肝腎のもとを考えないで、しかも漢字論者であるといっているのは滑稽ですね。



なるほど。


武田
いまはもとの意味とまったく反対になっている漢字がたくさんありますね。たとえば、さっき話がでた「殺」という字は、もともと、タタリをする動物をうつ形で、ころすよりも、相手方の呪いの力を減らすのが原義です。平和の「和(カ)」は軍門のことで、それがいまの和になったのは、軍門の前で講和を結ぶからだという*3。そういうことを全然知らないで、「俺は漢字をよく知っている。ローマ字論者はけしからん。漢字に反対するヤツは非国民だ」・・・・・・。それは許されませんよ。
 ぼくはべつに漢学者を憎む必要もないし、好きですよ。好きだけれど、現状についてのなんの反省もなく、漢字排撃論者は日本文化の伝統を知らんとか言っている。幸福だね。(笑)そんなことを言ったら憎まれるから言いませんよ。言わなくたって生きていかれるんだから。(笑)だけどもさ、きかれればね、漢字論者は漢字を知っているのかなっていいたいですね。



カナにするんなら、いっそのことローマ字にした方がいいという感じがします。


武田
ぼくはね、むずかしい漢字ばっかり使って偉そうに見せるのが好きですよ。なるべく漢字を自分だけが知っていて、他の人は知らない方がいいと思うけれど、(笑)だけどもね、そんなこと言っても実際はローマ字の方がいいと思いますよ。なにも今すぐローマ字にしろっていうわけじゃないけど・・・・・・。そんなこと言ったら袋叩きになっちゃうけれど、事実はそうですよ。



先例がありますからね。ベトナムなんか、うまくいってる。


武田
そうなったら日本文学全集は、全部なくなっちゃう。ローマ字の文学全集なんて誰も読んでくれないからね。だからぼくは困るわけだけれど、だけど本当に人類のためを考えるのなら、イヤでも考えなければね。

時代の空気を感じる対談でおもしろい。
武田泰淳が白川説をもって漢字論者をdisってる。ちょっと意外。
白川説ってどっちかというと漢字論者が好きそうな気がしたので。

三国志と中国 (文春文庫)

三国志と中国 (文春文庫)

*1:下放のことかな?

*2:拼音のことですかね?

*3:原注 白川静著『漢字--生いたちとその背景--』による