子どもの権利を無視するのは美談じゃないからね。

子供が1歳の頃離婚して早10年、最近子供が「お父さんはどんな人だった?」と聞いてくる
http://anond.hatelabo.jp/20170211125646

 これのブコメ見ていると美談と受け取った人が多いようだ。しかし、これは美談なのだろうか?離婚家庭の元夫婦が元パートナーに対して複雑な心情を抱くのは致し方ないことだ。この家庭の場合、母親である増田から見れば父親の育児参加の不足、子どもへの愛情の欠如が顕著だったという見解なのだろう。それは客観的に見て事実なのかもしれない。増田としては、自分が見た父親の話を伝えるのに躊躇するということなのかもしれないが、子どもが父親のことを知りたがっている以上、子どもに父親のことを判断する材料を与えるのは増田の義務と言っていい。では、増田の見解をそのまま伝えるべきか、というとそれも違う。会ったこともない父親の話をそのようにされても、子どもとしてみれば判断する材料は母親の話だけである。信ずるより他に道はないとなってしまう。
 結局、増田の子どもにとって一番の判断材料は父親に直接会うことだ。小学校高学年の子どもであれば、直接会って分かることは多い。父親が会いたがっていないのならばそのことをきちんと伝えるべきだし、もしそうであっても自分でいろいろとできるようになったら望めば本人が直接連絡できるようにしておいた方が良い。直接会ったら子どもが傷つくなどと心配するのって結局自分が会わせたくないだけだろうとしか思えない。子どもにとって不可能でもないのに片方の親との関係が喪失しているということの意味についてもっと考えてほしい。子どもには自分の両親双方との関係を築く権利があるし(その逆もまた然り。これが分からないのが親子断絶防止法案推進している奴らなんだよね。あいつらの子どもの権利の無視する決意半端ない)、親にはそれをできるだけ保障する努力義務がある。それができてはじめて子どものことを考える親と言えるだろう。できてない人が多いと思うが。子どもにとっての父親の情報を誤魔化すというのはなんの解決にもならない。