動き回る死体と幽霊の境目

 ちょっと前に話題になった以下の記事を読んでの思い出し雑感。
なぜ日本の昔話にはゾンビがいないのか?雑文
http://nenesan0102.hatenablog.com/entry/2018/03/16/221105
確かに日本の昔ばなしには死体が動き回ってなにかをする、という話と思われている話は少ないと思う。はっきりそれと分かる話は西行のものくらいしか思いつかなかった。しかし、幽霊話はそれなりにあり、そういう話はそもそも死体がうごいているのか、幽霊が動き回っているのかの区別というのが曖昧なのではないだろうか。思い浮かんだ話は「子育て幽霊」*1だが、この話では幽霊は金をもって飴を買いに行き、それを墓に持ち帰っている。この間は肉体をもった死体だった可能性だってあるのでは?という気もしてくる。実際に翻案元の「宣城死婦」という話はこうだ。(以下の訳文は中国のサイトで見つかる原文と細かいところで食い違いがある 後述)

 宣城は兵乱の後、人民は四方へ離散して、郊外の所々に蕭条たる草原が多かった。
 その当時のことである。民家の妻が妊娠中に死亡したので、その亡骸を村内の古廟のうしろに葬った。その後、廟に近い民家の者が草むらのあいだに灯の影を見る夜があった。あるときは何処かで赤児の啼く声を聞くこともあった。
 街に近い餅屋へ毎日餅を買いに来る女があって、彼女は赤児をかかえていた。それが毎日かならず来るので、餅屋の者もすこしく疑って、あるときそっとその跡をつけて行くと、女の姿は廟のあたりで消え失せた。いよいよ不審に思って、その次の日に来た時、なにげなく世間話などをしているうちに、隙をみて彼女の裾に紅い糸を縫いつけて置いて、帰る時に再びそのあとを付けてゆくと、女は追って来る者のあるのを覚ったらしく、いつの間にか姿を消して、糸は草むらの塚の上にかかっていた。
 近所で聞きあわせて、塚のぬしの夫へ知らせてやると、夫をはじめ、一家の者が駈け付けて、試みに塚をほり返すと、赤児は棺のなかに生きていた。女の顔色もなお生けるが如くで、妊娠中の胎児が死後に生み出されたものと判った。
 夫の家では妻の亡骸を灰にして、その赤児を養育した。

 ここでは、幽霊というよりも子どもを抱えて死体が動き回った、という印象が強い。(原文では子どもを残して塚に消えることなってる。)亡骸を灰にしたのもそういう推測を裏付けるところだ*2。日本の「子育て幽霊」の話だと、子どもを抱えていないし、消えてしまう、というところが幽霊っぽく表現されているのでなんとなく幽霊話として刷り込まれちゃうのではないだろうか。中国の幽霊(幽鬼)はこのように、かなり実体を持った感じで出てくることがあるのだが*3、北欧のSAGAにも歩き回る死者の話が出てくる。こちらの話は肉体を持っている感じが更に強くて、はじめて読んだときには幽霊なのか、ゾンビなのかちょっと悩んでしまったほどだ。ただ、そういう各地の幽霊・動く死人譚を読んでいると、最初に書いた通りそういう区別を昔の人はあまりしていなかったのではないか、という風に思えてくる。そもそも、実体を持った死人が歩き回ることも、幽霊が出ることも不思議なことに変わりなく、幽冥界に属することだ。古人の幽鬼譚というのは幽冥界の話であることが重要なのであって、実体を持っているのかそうでないのかは二の次、というのが本当のところなのではないかなあ、と思った次第。

*1:『夷堅志』「宣城死婦」の翻案だと言われている

*2:儒教では実際はともかくとして一般に火葬は好まれないという建前がある。『閲微草堂筆記』の僵屍キョンシー)の話も僵屍は焼いて退治されている。

*3:やはり魂魄という考え方のせいなのであろうか