共同親権や面会交流を必要と考えている私が、なぜ「親子断絶防止法」はダメだと思っているのか その一

 いままでも何回か書いているが「親子断絶防止法案」が議論されている。はてなでもなりすまし文書を増田で公開したりする輩がいて、また話題に上ってくる頻度が多くなった。id:scopedogのように強力にこの法案を推進しようとしている者もいるので、離婚家庭の片親育ちの私としては、この法案に反対の立場からなぜダメだと思うのか、何回かに分けて書いておきたいと思う。なお、本稿含めて実在の家庭の案件について書くことになると思うが、当事者である家庭の子どもが将来ググって本稿を見る可能性もある。そのような可能性のあるものには注意書きをつけるのでご了解いただきたい。

1.面会交流は必要な場合も多い
 scopedogのように人の意見を藁人形論法で批判する者もいるので*1、この点は明確にしておきたい。私の家庭は小学校中学年の時に、両親が別居しその後数年のうちに離婚した。就学児童の転校はかなりの負荷が子どもにかかる。ストレスも筆舌に尽くしがたいが、離婚自体は避けられようもなかったと思っている。子どもへの影響を考えて離婚をためらう人も多いが、家庭内でのけんかだって子どもへのストレスになることを考えれば、本格的な破綻を迎える前にさっさと離婚してもらった方が良い。ここの部分だけは、親の権利は子どもの意見に左右される必要はない。離婚自体ができなくなってしまうからだ
 別居・離婚となって子どもの養育は最初に母親、その後、二年程度で私の意見が尊重された部分もあり父親と同居することとなった。(弟は母との同居を望んでいたようだが、兄弟を別れさせないという母親の判断で弟も一緒に父と同居)その後は成人するまで父親と同居した。その間、母親といるときも父親といるときもずっともう一方との面会交流(この言葉を知ったのは最近)をしていた。頻度は月1回程度。思春期になるとその頻度は減った。
 高校生のときに、父方の親戚から「お前は父親を選んだんだから母親と会うな」と言われたことがあるが、全く意味が分からなかった。親子関係は制度上の関係に左右されないという確信があったからである。面会交流の良さはやはり制度上の関係に左右されず親子の関係性を確認出来ることであろう。また、共同親権が必要な場合もあるというのもこのときの経験から非常に強く思っている。

2.「親子断絶防止法」推進者は差別主義者のオンパレード
(おかしな人の場合で、まともな人もいるであろう点は次回以降後述するのでまともな人は怒らないでね)
 「親子断絶防止法」の推進者の文章を読んだのは西牟田靖のものが最初である。一読して離婚家庭に対する非常に強い偏見と離婚への敵視がうかがわれる文章で全く同意できないどころか、反感すら覚えた。その文章では法案への直接的な言及はなく、「西牟田靖はクソ野郎」という実感だけが残ったのだが、後日彼がこの法案を推進しているらしいことを知り、はじめてこの法案を知った次第である。法案推進団体のサイトを読んでも、ほぼ同様の全く理解できない文言が並んでおり、サイト内には虚偽DVという文言すらある。DVの認定に問題があるならDV防止法をいじればいいことであるのに、この法案で主張してくる。DVなどで元パートナーとの接触を禁じられるべき人間が、子どもとの関係を利用して離婚を拒否、元配偶者への接触をはかっているのではないかと強く疑われる記述であり、この法案がフェミニスト系の団体から非常につよい懸念をもたれている所以でもある。「親子断絶防止法 全国連絡会」のおかしな主張については以前書いた*2ので繰り返さないが、その立法目的に推進派であるscopedogが付けたコメント*3を見る限り、彼がこの団体の偏見まみれの主張に共感しているのは間違いない点も指摘しておきたい。

 また、この件に関して付言しておくと、昨年、宇都宮で自爆事件を起こした元自衛官(離婚裁判でDVを訴えられていた。DVが認定され離婚確定。)の事件も大変参考になる。この事件は「親子断絶防止法」の推進論者に大変な人気があり、いかに離婚調停がおかしいか、いかに自爆した元自衛官がかわいそうな目にあったのか、といった話が民族差別的な推測もつけて横行した。例えば「宇都宮 自爆事件」でググって一番最初に出てくるブログ*4などは家裁の調停員を女性だけ名指しして罵倒し、妻が新興宗教の信者であったとしてこう書く「金の亡者・住職はひょっとして、あれか?…朝鮮渡来の人なんじゃないのか?」。なにをかいわんやという状況であるが、こういうブログを推進派(西牟田靖など)は嬉々として拡散*5しているのである。こうした背景をscopedogが書くことはないが、千田有紀氏や駒崎氏が強く反発しているのはこうした背景を考慮しているのであって前提条件がある、ということはいっておきたい。千田、駒崎両氏の差別心を心配するより、はるかに露わになっている「親子断絶防止法案」推進者の差別的ふるまいについて心配した方がよっぽど有益である。

とりあえず、つづく。
次回以降は3.「親子断絶防止法」条文の問題点。4.「親子断絶防止法」推進者は全員おかしいのか?5.子どものための立法を目指そう!6.歴史修正主義批判者がちょろすぎる。を予定。(極度の面倒くさがり屋なので時間かかるかも)

*1:scopedogさんから言及されてるのに今頃気づいたのでお返事。http://d.hatena.ne.jp/EoH-GS/20170121/1484989246

*2:いわゆる「親子断絶防止法案」についてDVにこだわっているのは誰なのか? http://d.hatena.ne.jp/EoH-GS/20161023/1477220506

*3:http://b.hatena.ne.jp/entry/305270753/comment/scopedog

*4:http://ameblo.jp/daihatu-com/entry-12212812888.html

*5:https://twitter.com/nishimuta62/status/790823259163942912

子どもの権利を無視するのは美談じゃないからね。

子供が1歳の頃離婚して早10年、最近子供が「お父さんはどんな人だった?」と聞いてくる
http://anond.hatelabo.jp/20170211125646

 これのブコメ見ていると美談と受け取った人が多いようだ。しかし、これは美談なのだろうか?離婚家庭の元夫婦が元パートナーに対して複雑な心情を抱くのは致し方ないことだ。この家庭の場合、母親である増田から見れば父親の育児参加の不足、子どもへの愛情の欠如が顕著だったという見解なのだろう。それは客観的に見て事実なのかもしれない。増田としては、自分が見た父親の話を伝えるのに躊躇するということなのかもしれないが、子どもが父親のことを知りたがっている以上、子どもに父親のことを判断する材料を与えるのは増田の義務と言っていい。では、増田の見解をそのまま伝えるべきか、というとそれも違う。会ったこともない父親の話をそのようにされても、子どもとしてみれば判断する材料は母親の話だけである。信ずるより他に道はないとなってしまう。
 結局、増田の子どもにとって一番の判断材料は父親に直接会うことだ。小学校高学年の子どもであれば、直接会って分かることは多い。父親が会いたがっていないのならばそのことをきちんと伝えるべきだし、もしそうであっても自分でいろいろとできるようになったら望めば本人が直接連絡できるようにしておいた方が良い。直接会ったら子どもが傷つくなどと心配するのって結局自分が会わせたくないだけだろうとしか思えない。子どもにとって不可能でもないのに片方の親との関係が喪失しているということの意味についてもっと考えてほしい。子どもには自分の両親双方との関係を築く権利があるし(その逆もまた然り。これが分からないのが親子断絶防止法案推進している奴らなんだよね。あいつらの子どもの権利の無視する決意半端ない)、親にはそれをできるだけ保障する努力義務がある。それができてはじめて子どものことを考える親と言えるだろう。できてない人が多いと思うが。子どもにとっての父親の情報を誤魔化すというのはなんの解決にもならない。

「未来を花束にして(原題:Suffragette)」の日本語版と韓国語版の予告編の違い

 「未来を花束にして」昨年からポスターが英語版からえらく変わっているとか邦題がおかしいという話を聞く。映画は未見だが、題名に関して言えば確かに「未来を花束にして」じゃ女性参政権獲得運動だってよく分からんよね。「サフラジェット」って言われても分からんけど。台湾では「女權之聲」っていうわかりやすい題名になっているようだ。韓国版はそのまんま「サフラジェット」。韓国や台湾ではざっと見た感じポスターは英語版とあまりかわらないものを使っているようだ。もっと驚いたのは予告編。日本の予告編では女の人が集会行ったり、セクハラされたり、泣いたりしてるだけなんだけど、韓国版だと暴動シーンや爆破シーンあり、セクハラしてくるおっさんにはアイロンで反撃したりするシーンがあって泣いてるだけじゃない。なんでこんなに違うのか?ちょっとびっくり。



日本語版 かわいそうな感じが強い



韓国語版 戦ってる感じパない
韓国語版の予告編はYouTubeになかったんでこっから見てね↓
http://tvpot.daum.net/v/v1fb7R5Rk5FMTgTTC8R5yF2

安倍の「云々」誤読よりもアパの田母神与太ポエムの誤字の方が気になる

安倍首相が「云々」を誤読したとかで話題になっている。よくこんなどうでもいいことで大騒ぎできるな〜、と思う。ただ一方で安倍首相の場合だけ揶揄されないのはおかしい、という意見もある。確かに一理あるので、今後はこの程度のことで大騒ぎしないのをデフォルトにしましょう、くらいでいいのではないだろうか。
閑話休題アパホテルが炎上しているので思い出して久しぶりに見に行ってもまだ直ってないのだが、アパのサイトで公開されている田母神「論文」*1は当初から右翼なら間違えちゃダメでしょう(苦笑)*2という誤字がある。「金鵄勲章」が「金賜勲章」になっているのだ。軍人の武勲に対する勲章名を誤記って軍人の田母神さん的にどうなの?という誤記であり、勲章をありがたがる界隈ではかなり失礼なことなんだそうだ、どうでもいいけど。『日本書紀』読んでたらあんまり間違えない誤記でもある。「金鵄(きんし)」って普通変換されないのでわざわざ単漢字変換したであろうことを考えると、書いた人が田母神氏本人であるならば「金鵄」の字を間違えて覚えているのだろう。ところが、日本会議のサイトに掲載されている講演の文字おこし(https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/869)ではちゃんと「金鵄勲章」になっており、田母神氏本人が校正したことになっている。ということは、アパのを書いた当時は勘違いしてたけどあとで気づいた*3、か「論文」自体自分で書いてない可能性があるということなんではなかろうか。好意的に考えれば、口述筆記とか。手書きを打ち直した場合でも「鵄」に「賜」の字をあてるのはあり得ないだろう。文字を見てない可能性が高いと思う。ということで私としては

  1. 田母神氏が本当に自分で書いたの?
  2. アパ「論文」って校正してないの?
  3. 2008年から9年近く、誰にも気づかないほど読まれてないの?(左翼的にはいいことだね!)
  4. 読んでても右翼の人って気づかないほど金鵄とか金鵄勲章って知られてないの?(日帝の残滓は右翼からも一掃されたのだ!左翼的にはいいことだね!)
  5. もしかして「金賜勲章」という表記もありなの?

という疑問がむくむくとわき起こっているところです。もちろん、間違いだったとしても右翼の皆さんが「間違いだったとしてもたいしたことではない!」というのであれば歓迎です。みんなでくだらないことを言うのはやめましょう!

*1:http://ronbun.apa.co.jp/images/pdf/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

*2:右翼って大変ですね(棒

*3:とすれば、右翼的には恥ずかしい間違いであろうからアパのに修正入れないのはおかしいような気がする

scopedogさんから言及されてるのに今頃気づいたのでお返事。

ブコメに返信
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20161031/1478019853

なんか言及されてたんだけど通知ちゃんとみてない人間なので今頃トラバに気づいた。失礼しました。


DV被害を受けた挙句に子どもを連れ去られた親に対してすら「親の権利なんてどうでもいい」と言い放つような人とは対話できそうに無い

DV被害を受けた人にはDV防止法で対応すれば良いだけ。子どもの面会交流の権利に関する法律がその件に容喙する必要はないですよ。そんなのを盛り込むから面会交流に関する法律が成立しにくくなってるんでしょう。本当に成立させる気あるの? そもそもDV被害者側からこの法案に出ている疑問を適当にあしらっておいて、自説に都合の良いDV被害者の話を持ち出しているのどうなの?とも思いますが。

あなたの親は面会する価値もない人間だったのかも知れませんし、あなた自身はその犠牲者なのかも知れませんが

私は面会交流して良かったと思っているので、面会交流の必要性はあると思っているんですが。だからこそ同じ程度に面会交流したくない人の権利も守られないといけないという話をしてるんです。それこそ多様性を重視しているんです。そういう機微をscopedogさんが配慮しているように思えないんですよね。


あなたに全ての離婚家庭における「子どもの視点」を代弁する資格があるわけでもありません

私のことをそのように仰るのは自己投影が過ぎますよ。
前回の文章でも自分の意見は離婚家庭の子どもの意見を代表するものではないというのはしつこく何回も書いているのですが。私は面会交流は必要な場合は絶対あると思っている人間なので、今回の法案賛成する離婚家庭の育ち人もいると当然思っています。その点気をつけて書いているのに読み取っていただけなかったのは、私の筆力不足で申し訳なかったですね。


少なくともあなたの親とは別個の人格である連れ去られ被害者に対して「親の権利なんてどうでもいい」等といった侮辱的言質を投げかける権利はあなたにはありませんよ。

子ども主体の法律の話で親の話をされてもどうでも良いよ、としか言えないですよ。子どもが主体の法律ってこと分かってない(思ってない)からこういうとんちんかんなこと言っちゃうんだろうとは思いますが。そう言う意味では馬脚があらわれた良いエントリですね。
そもそも、この法案に賛成している親も、反対している親も、twitterなどで元配偶者をどのように言っているか見てますか?お互いいかに相手が子どもにとって有害か、罵りあってますよ。もちろんDVの場合はそれとは別に考えなければいけないでしょうが双方の意見をそのまま採用すれば、子どもの権利を侵害するのは親なんだな、というのは誰でも分かることなのですが。この点は推進者反対者共に一致しちゃってますよ。そういうこともちゃんと考えましょうね。

いわゆる「親子断絶防止法案」についてDVにこだわっているのは誰なのか?

このところ、話題になることが多くなってきた「親子断絶防止法案」。法案の通称名からして「親子が断絶するのは悪」という『美味しんぼ』のクソ家族イデオロギーの権化のようなひどい代物だけど、先日このような記事を見かけた。
scopedogさんの
子どもと引き離される親をDV加害者と決め付ける千田氏の主張は容認しがたい
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20161020/1476980719
千田有紀氏の
親子断絶防止法案の問題点―夫婦の破たんは何を意味するのか
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20161018-00063335/
への突っ込みなんだけど一読してこれはアカンでしょ、と思ったので書いておく。
第一に自分の立場だけど、離婚家庭の片親育ち(離婚家庭は様々なケースがあるのでみんなこういう風に思うとは限りません。念のため)千田有紀氏の文章について読んだときは特に問題を感じなかったものの、scopedogさんのエントリーを読んだときは確かに理由があるとはいえDV離婚に偏りすぎている感じを受けた。ここはちょっと文脈を共有している人向けに書いた感じが出てしまったんではないか、と後出しじゃんけん的に思う。もう少しそうじゃないケースについてもフォローすべきだったんではないかと。うん、後出しじゃんけんだね。

しかし、そうした後出しじゃんけんは置いておいて、なんで千田氏はDV離婚にこだわってるのかっていうのを考える必要があるんではないだろうか?
scopedogさんのエントリーを読むと千田有紀氏が一人でかってにDV問題にしたがっているようにしか見えないので全く分からないけど、それはこの「親子断絶防止法案」を推進している団体「親子断絶防止法 全国連絡会」(サイト http://oyako-law.org/index.php)がめちゃくちゃそれにこだわっているからなんだよね。(よく読めば千田氏の文章もそういう記述なんですが。リンク張ってるし)
 この団体のサイトに行くと彼らの主張がずらずらとかかれてるけど、左サイドを見ると「離別親子の諸問題」というのがある。項目を見ていくと、親子断絶の現状、子どもの連れ去り、虚偽DVの実態、片親疎外の子ども、子どもの虐待となっている。大体どの項目も読んでいくと違和感があるけど、この中で特に違和感があるのが虚偽DV。子どもの連れ去りの中に入れれば良いのになぜか別項目をたててる。更に言えば子どもの虐待のケース、これ子どもの虐待じゃないよね?というのがトップに来ていて(子どもどうしのトラブルだった川崎の事件)不思議な印象。ていうか共同親権とまでは行かないまでも、かなり離婚後もそれなりの関係が保てていたケースだよね、これ。それにいろいろなケースが上げられているけど、共同親権じゃなかったことが事件の主な背景にあるのか、この記事だけではわからないものばかり(最後のケース除く)。どっちかっていうと、片親家庭(特に母子家庭)で起こった有名事件を集めたんじゃないの?と思える。まあ、印象操作ですわ。共同親権を提案したい人たちが作るサイトとは思えない不誠実さである。共同親権の必要性はこの団体とは別の意味で自分も感じているけどあり得ないね、これ。ここからして虚偽DVがわざわざ別項目としてたてられている意図も見えようというものだ。まあ、いろいろともっともらしい理由がついてはいるがこのサイトの人たちはDV防止法が目障りなんだろうな、と思います(個人の感想です)。さらに、このサイトにある立法の目的みたいなのがひどい。

連れ去りや離婚ではなく、不幸な事故や病気で片親を失った子どもは、日々片親の素晴らしいところを聞きながら成長し、子どもは自尊心を持って成長していくことでしょう。
私たちは生きているにも関わらず、子どもと触れ合うこともできません。
美しい思い出は、少しづつ色褪せ、後から少しずつ長い時間をかけて吹き込まれる事後情報に、記憶も少しずつ歪められていきます。長い年月を乗り越えて再会した頃には、子どもは離れて暮らしている親への愛情を完全に失っているかの様なこともあります。それでも私たちの子への愛情は消えません。誰がどんなに消そうと試みても、子どもへの愛情は失いません。
子どもには両親が必要です。子どもも両親を愛しているのです。

子どもが両親の愛情を日常的に直接感じられること、頻繁かつ継続的な交流こそが子どもの利益ではないでしょうか?

求める立法 - 共同養育支援法 全国連絡会


 愛情とか美しい感じの言葉が書かれているけど、一番最初で連れ去りと離婚を同一視してしまっているというおっちょこちょいぶりを発揮。まあ、ホンネだろうからしょうがないでしょうが、離婚というのは結婚という制度がある以上さけられない事態です。それを敵視する人って離婚や離婚家庭に対する偏見を日々量産している人と相場が決まっています。そうした偏見ができるととても困るのが離婚家庭の子どもなのです。なぜなら、親、特に母親は離婚家庭への偏見という圧力に想像以上(この団体自体離婚家庭の主に父親で構成されているはずなのにこんな文言を書いてしまう程度に)に晒されていて、ぎりぎりまで別居や離婚に踏み切れないから。その結果おこるのが、明らかに破綻していて毎日怒鳴りあってる家庭。これ本当に子どもは辛いよ。大人でも家族が毎日怒鳴り合ってたらすごいストレスよ。こういう家庭は(うちがそうですけど)結局破綻して、離婚後も親同士がいがみ合うので問題がこじれがちになることが多いでしょう。もっと簡単に別居や離婚ができるようになれば良いのにと思う。(結婚自体なくせば良くね、というのはひとまず措いておく)悲しい事態も少しは減るはずです。こういう風に考えれば千田有紀氏の勇み足っぽい書きぶりもわからなくはない。彼女自身の書きぶりもそこへの懸念があればこそになっていると思います。scopedogさんはしきりに条文を読め、と仰っていますが読んでも感想は変わらないし、こうした背景をかんがえれば、むしろ目的である一条に自分たちであんなに言ってる、子どもの権利という視点が全然なくて、代わりにあるのが「親の愛情」というふわふわワードなのがすごく気になるし、理念である二条に子どもの権利の具体的な記述がないのが「子どもの権利はぜってー書かねー!」という強い意志みたいなのを感じて怖いです。以上、不健全な離婚家庭の片親育ちとしてはこういう感想ですね。(個人の感想です)

ATOKで「非ざれば」が変換できない

古い文書をATOKの文語モードで入力していたら掲題の問題にぶち当たる。
「在らざれば」か「有らざれば」しか変換候補に出てこない。
そうか、この言葉って「ある」に助動詞が付いた連語なんだ…。
どうやって単語登録すればいいの?
単語登録の品詞に助動詞ないし…と途方に暮れるも
変換範囲を「あら」にまで縮めたら「非」が候補に出てきて事なきを得る。
文語入力滅多にしないし、似たようなことで、また躓きそうだから書いておく。